朝鮮王朝の初代王である太祖(テジョ/李成桂〔イ・ソンゲ〕)。朝鮮王朝を建国したことで知られているが、彼の統治時代に、王の後継者をめぐる争いが起きている。なぜ、そのようなことが起こったのだろうか。
初代王として即位した理由
もともと高麗の武将だったが李成桂は、中国の明に攻めることを決めた王である禑王(ウワン)の命を受けて、高麗軍を率いることになった。
李成桂は、最後まで明に攻め入ることを反対していたが、結局は王命に逆らえなかった。進軍して、領土の最北端に位置する鴨緑江(アムノッカン)へとやってきたが高麗軍は、鴨緑江の中州にある威化島(ウィファド)まで渡ったところで、雨に降られて川が増水した影響で足止めをされてしまい、李成桂は、大河を強行突破するか王命に逆らって引き返すかの決断を迫られた。
彼は、全軍を引き返すことを決めて、高麗の王都である開京(ケギョン/開城〔ケソン〕)を攻めて、王である禑王を追放した。これが威化島回軍(ウィファドフェグン)である。
そうして実権を握った李成桂は、禑王の後に傀儡の王を王位に就けて黒幕であり続けたが、次第に王朝の創設者になりたいと強く思うようになった。そして彼は、1392年に34代王・恭譲(コンヤン)王を追い出して、初代王・太祖となったことで高麗は滅亡した。(ページ2に続く)