張禧嬪(チャン・ヒビン)の死罪!朝鮮王朝の重大な事件簿6

高官たちは大反対したのだが……

高官たちは大反対したのだが、粛宗はそれらをすべて無視して、勝手に仁顕王后の復位を決定してしまった。
張禧嬪は再び側室に格下げになった。こうして仁顕王后が王妃として戻ってきた。彼女には淑嬪・崔氏という強い味方がいた。これで粛宗の息子を産めば立場は磐石になったのだが、病弱であったためにそれは叶わなかった。
それでも、張禧嬪は仁顕王后の動向を常に注視し続けた。仁顕王后が息子を産めば、自分の息子が王になる可能性がなくなるからだ。




結局、仁顕王后は1701年8月に病気で世を去った。その後、淑嬪・崔氏は、張禧嬪が仁顕王后を呪い殺そうとしていたことを告発した。
激怒した粛宗はこう言った。
「王妃が病気になってから2年間、張禧嬪は一度も見舞いに来なかった。それだけでなく、王妃の悪口ばかり言っていた。しかも、部屋のそばに神堂を建てて、怪しげな者たちと変な祈祷をしていた。こんなことが許されるなら、一体、どんなことが許されないと言うのか。張禧嬪を自害させよ」
張禧嬪は世子の母親でもあったので、高官たちは死罪に大反対したのだが、粛宗は絶対に張禧嬪を許さなかった。
張禧嬪はこうして命を絶たれたが、彼女の息子は粛宗の後を継いで20代王・景宗(キョンジョン)になった。死して張禧嬪は一番の願いを叶えたのである。

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