最大の屈辱
仁祖はその約束を守らなかった。相変わらず明の意向に沿った行動を取っていることに怒った後金は、1636年に国号を清に変えて12万の大軍を率いて再び朝鮮半島に侵攻した。
仁祖は前回同様に江華島に避難しようとしたが、すでに途中の道は押さえられていて、漢江(ハンガン)の南側にある南漢山城(ナマンサンソン)に1万3千人の兵と籠城した。しかし、軍事力があまりにも違い過ぎた。
結果として、清の軍勢によって繰り返された略奪と放火の影響で、国家は存亡の危機を迎えた。それにより仁祖は降伏し、三田渡(サムジョンド/現在のソウル近郊)で清の皇帝に謝罪をしている。その方法は、3回ひざまずいて9回頭を地面にこすり付けるもので、かなり屈辱的なものだった。(ページ3に続く)