光海君を追放して、16代王・仁祖(インジョ)となった綾陽君(ヌンヤングン)。彼は王として大きな屈辱を受けることになってしまう。いったいなにがあったのだろうか。
王としての苦労
王になる前の綾陽君は、クーデターを成功させるほど卓越した戦略性と優れた統率力を見せた。しかし、仁祖として即位した後は、凡庸さばかりが目立つようになった。
即位した翌年の1624年に、功臣の李适(イ・グァル)が反乱を起こしたが、彼のことを信頼していた仁祖は、裏切り行為をいっさい信じなかった。しかし、李适が実際に都に向かって進軍すると、仁祖は慌てて逃げ出した。その行動を見る限り、李适のことを本当に信頼していたとは思えない。
1627年には、国防をおろそかにしていたことで、北方の異民族である後金の侵攻を許してしまう。仁祖は江華島(カンファド)に避難するが、武力で勝ち目がないことを知ると、後金の怒りを鎮めるために講和会議を行なった。朝鮮王朝は中国の明を崇めていたが、その講和会議で後金を支持することと、明に肩入れしないことを約束させられた。(ページ2に続く)