第7回 女性に関する問題を起こした国王
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)は、21代王・英祖(ヨンジョ)に続いて二番目に長生きした王だ。彼は、在位中に王妃や側室と多くのトラブルを起こしている。いったい、粛宗は何をしたのだろうか。
粛宗の功績
粛宗の親は、18代王・顕宗(ヒョンジョン)と明聖(ミョンソン)王后である。父親の顕宗が1674年に亡くなると、粛宗が後を継いで19代王となった。当時は、派閥闘争の激しかった時代で、それに巻き込まれる危険性を感じていた粛宗は、あまり深入りしなかった。そうした党争が起こった原因は、粛宗が13歳で即位したことで、王の補佐役を自認する者たちが、主導権争いを起こしたからである。成人した粛宗は、王権の強化を行ない、敵対する党派を牽制しながら独自の政治哲学を実現させていった。
さらに、粛宗は農業地の整備など生活水準を向上させるという功績を残している。朝鮮王朝時代は儒教が国教だったため、商人は軽んじられていて、商売も低く見られていた。粛宗は「商業が発展しなければ、人々の生活が良くならない」と思い、本格的な貨幣鋳造事業を行なった。
そうした功績を残した粛宗だが、一方で彼は女性に関するトラブルが多かった。その女性の中には、「朝鮮王朝3大悪女」の1人として知られる張禧嬪(チャン・ヒビン)がいる。(ページ2に続く)