第1回 光海君の生涯(前編)
朝鮮王朝15代王・光海君(クァンヘグン)。彼は暴君として知られているが、10代王・燕山君(ヨンサングン)のように悪事ばかり働いていたわけではない。光海君の人生はどのようなものだったのだろうか。
後継者をめぐる争い
光海君は、14代王・宣祖(ソンジョ)と側室の間に生まれた。
宣祖の最初の妻である懿仁(ウィイン)王后が子供を産まなかったことにより、光海君は後継ぎの候補となった。
宣祖が統治していた時代、1592年に豊臣軍の朝鮮出兵、いわゆる壬辰倭乱(イムジンウェラン)が起こった。その際に、光海君の兄の臨海君(イメグン)は豊臣軍の捕虜となってしまう。
臨海君は戦いが一時停戦になったときに釈放されるが、敵の捕虜になったことに屈辱を感じ、酒浸りになるなど問題を起こして「後継者に相応しくない」と判断された。兄が後継者の立場から外されたことにより、弟の光海君が後継者として注目を集めた。(ページ2に続く)
光海君(クァンヘグン)を追放した仁祖(インジョ)に大義名分はあるのか?
光海君(クァンヘグン)が仁穆(インモク)王后に復讐された日(前編)