子孫に広大な土地を残す
崔鳴吉はこう力説した。
「貞明公主は宣祖(ソンジョ)大王の直系の王女です。もし、貞明公主を処罰したら、反正(パンジョン/仁祖の即位のきっかけになったクーデターのこと)の正統性はどうなってしまうでしょうか」
最終的に、貞明公主は崔鳴吉に救われたのである。
この崔鳴吉は『華政(ファジョン)』の中でも重要な役割を演じていた。このあたりは、史実とドラマを比べながら見ると面白い。
いずれにしても、母の仁穆王后が亡くなったあと、貞明公主は仁祖の豹変のせいで常に窮地に立たされていた。
そんな中でも夫の洪柱元に支えられて、7男1女をもうけた。
1649年に仁祖が亡くなったあとは、歴代の王に丁重に処遇された。そのおかげで、所有していた広大な土地を子孫に残すことができたのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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