文定王后の策略
1544年、中宗は病状の悪化によって亡くなり、章敬王后の息子である峼が12代王・仁宗(インジョン)として即位する。しかし、父親である中宗の死を悲しんでいた彼は、即位してからずっと体調を崩したままだった。そんな王を周りの者たちは心配していたが、文定王后の態度は冷たかった。
1545年、文定王后は「祭祀の後で挨拶に来なさい」と言って、仁宗を呼びだす。体調が悪いにもかかわらず、文定王后のもとへ行こうとする王を、臣下たちは無理しないようにと止めるが、仁宗は「息子として行かねばならない」と言って、臣下たちの言うことを聞かなかった。
彼が訪ねていくと、それまで冷たい態度を取っていた文定王后の機嫌がよく、仁宗に餅を勧めてきた。何か裏があると思ったのだが、仁宗は餅を食べてしまった。
即位直後から体調を崩していた仁宗。餅を食べてからは、下痢や高熱を出すようになり、さらに症状が悪化して気を失ってしまう。彼の治療に当たった医官たちの看護のおかげで意識が戻った仁宗だが、絶対安静にしていなければならなかった。(ページ3に続く)