危機的状況からの逆転劇
李舜臣の活躍により一度は撤退した豊臣軍が1597年に再び攻めてきた。朝鮮軍は迎え撃ったが、それまでの連勝がまるで嘘のように連敗してしまう。「もう後がない」と感じた高官たちは、李舜臣を水軍の総司令官に戻した。海上に戻ってきた李舜臣だが、そんな彼を迎えたのは、12隻の小さな船だった。そのような状況では、誰もが「勝ち目がない」と思うだろう。しかし、李舜臣は諦めることがなかった。不眠不休で水軍を再編成し、荒れた海流などを利用した戦術で、見事に巻き返したのである。
1598年8月、戦い続ける李舜臣のもとに、豊臣秀吉が亡くなったという知らせが届いた。彼は、それを絶好のチャンスと捉えて総攻撃に打って出た。しかし、その戦いの中で、李舜臣は流れ弾に当たり倒れてしまう。自分が死ねば兵の士気が下がると思った李舜臣は、息子と甥に「私の姿を盾で隠し、今後の指揮はお前たちに任せる」と言って亡くなった。
死ぬまで戦い続けた李舜臣は、不滅の将軍と呼ぶに相応しい人物である。だからこそ、現在の韓国で、ソウルの中心部に銅像が立つほど尊敬を集めているのだろう。その評価は韓国だけではなく世界にも広がっている。朝鮮出兵の際に、李舜臣に苦しめられた日本側も彼の戦術を研究しているくらいだ。朝鮮王朝の歴史の中でもこれだけ後世に影響を及ぼした将軍はいないだろう。
文=康 大地(コウ ダイチ)
提供=「ロコレ」