日本と韓国の歴史

朝鮮王朝全史

トンイから徹底的な教育を受けた英祖(ヨンジョ)!朝鮮王朝全史21

後世において名君と称された21代王の英祖(ヨンジョ)。彼がそこまで評価されたのは、母である淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の影響が大きい。彼女はドラマ『トンイ』の主人公のモデルだった女性だ。(adsbygoogle = window.adsb...
朝鮮王朝全史

張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子の景宗(キョンジョン)が即位!朝鮮王朝全史20

正室の座を手に入れた張禧嬪(チャン・ヒビン)は、その後、ますますわがままが目立つようになり、時には粛宗(スクチョン)にさえ意見をした。粛宗はそんな張禧嬪にいら立ちをつのらせていった。呪いの祭壇「離縁したのは間違いだったのか……」粛宗は仁顕(...
朝鮮王朝全史

張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛した粛宗(スクチョン)!朝鮮王朝全史19

長い間の人質生活によって清に反感を持っていた孝宗(ヒジョン)は、王になるとすぐに清に好感を持つ高官たちを追放した。そして、清がロシアの軍勢に苦しめられているという大義名分を得て、北伐の準備を強行した。党派の争いが激化朝鮮王朝の軍事力は格段に...
朝鮮王朝全史

不可解な昭顕世子(ソヒョンセジャ)の死!朝鮮王朝全史18

16代王・仁祖(インジョ)は、クーデターを起こして先王の光海君(クァンヘグン)を追放して1623年に即位するが、彼には多くの困難が待ち受けていた。特につらかったのが、異民族の侵攻を度々受けたことだった。特に強大な軍事力をもった清は、1636...
朝鮮王朝全史

最大の屈辱で恥をかいた仁祖(インジョ)!朝鮮王朝全史17

ついに李适(イ・グァル)が反乱を起こした。漢陽(ハニャン/現在のソウル)に向けて破竹の勢いで進軍する反乱軍に恐れをなした仁祖は、首都を捨てて逃げ出してしまった。反乱軍は進軍開始19日目、たった3回の戦いで、政府軍を撃破して首都を陥落させた。...
朝鮮王朝全史

廃位となった光海君(クァンヘグン)!朝鮮王朝全史16

1608年に光海君(クァンヘグン)は即位した。しかし、彼の側近は危機感を強めていた。兄の臨海君(イメグン)や異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を支持する一派の巻き返しが恐かったのだ。済州島に島流し光海君が即位した後も、血なまぐさい争いが続...
朝鮮王朝全史

権力闘争に勝った光海君(クァンヘグン)!朝鮮王朝全史15

1592年4月に始まった朝鮮出兵。当初は豊臣軍が快進撃を続けた。両国の戦力に差が出たのは、鉄砲の存在も大きかった。すでに日本には戦国時代を通して鉄砲が伝えられており、王朝軍の弓矢や槍では相手にならなかったのだ。変わりゆく戦況劣勢となった王朝...
朝鮮王朝全史

都を捨てて逃げた宣祖(ソンジョ)!朝鮮王朝全史14

14代王・宣祖(ソンジョ/在位は1567~1608年)が即位してから25年間が経過した1592年は、朝鮮王朝建国200年の節目の年だった。この記念すべき年に隣国からやってきたのは、祝賀の使節ではなく、10万を越える大軍だった。壬辰倭乱(イム...
朝鮮王朝全史

文定(ムンジョン)王后に翻弄された明宗(ミョンジョン)!朝鮮王朝全史13

文定(ムンジョン)王后の息子の慶源(キョンウォン)は、1545年に13代王の明宗(ミョンジョン)として即位した。彼は学問を好み性格も温和だったが、まだ幼かったために強引な母に頭が上がらなかった。実権のほとんどは母の文定王后が握っていた。尹元...
朝鮮王朝全史

仁宗(インジョン)を毒殺した文定(ムンジョン)王后!朝鮮王朝全史12

1544年、朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)は臣下たちの権力争いに苦しめられていた。そうした気苦労は中宗の体調を悪化させた。病に倒れた中宗は、長男に王位を譲った翌日に亡くなった(文定王后については、韓国時代劇の史実とフィクションの違...