朝鮮王朝の500年以上にわたる歴史において、全部で27人の国王が存在した。その長く複雑な系譜の中で、筆者が個人的に最も強い愛着を持ち、最高の名君として推したいのが第22代王の正祖(チョンジョ)である。彼は本名である「イ・サン」という名で、現代の私たちにも広く知られている。
近年でも、不朽の名作ドラマ『イ・サン』や、世界的な大ヒットを記録した『赤い袖先』の主人公として描かれ、その波乱万丈な生涯は多くの視聴者の胸を打った。果たして、歴史上のイ・サンとは一体どのような国王であり、その胸の奥にはどのような無念が隠されていたのだろうか。
悲劇の幕開け:米びつで餓死した父・思悼世子と派閥争いの闇
イ・サンは1752年、第21代王・英祖(ヨンジョ)の孫として、そして王位継承者である思悼世子(サドセジャ)の息子として生を受けた。しかし、彼の人生は幼い頃に決定的な悲劇に見舞われる。1762年、父である思悼世子が、祖父・英祖の冷酷な命令によって狭い米びつに閉じ込められ、そのまま餓死させられるという前代未聞の惨劇が起きたのである。
確かに、思悼世子は天才的な頭脳を持っていた反面、精神的なバランスを崩しており、性格に問題があったのは事実だった。激しい酒乱であり、宮中の家臣や周囲の人間に対する暴力も絶えなかったという。こうした度重なる素行不良が厳格な英祖に激しく咎められ、餓死という凄惨な結果に至ったのである。
しかし、この事件の本質は単なる親子の不和だけではない。背景には、当時の朝鮮王朝の政治を牛耳っていた巨大な権力派閥「老論(ノロン)派」のどす黒い陰謀が渦巻いていた。 革新的な考えを持っていた思悼世子は、保守的な老論派に対して非常に批判的であった。そのため、老論派の重臣たちは「このまま思悼世子が第22代王として即位すれば、自分たちの既得権益や立場が危うくなる」と強い危機感を抱いた。そして、あえて思悼世子の悪行を誇張し、英祖に毎日のように吹き込んだのである。
このように、英祖と思悼世子という親子の致命的な確執は、自らの権力を守ろうとした老論派によって意図的に煽られ、仕組まれた側面が強かったと言える。
即位後の粛清と復讐:名君がどうしても裁けなかった「黒幕」
1776年に英祖が世を去ると、ついにイ・サンが第22代王として即位した。彼は、愛する父が老論派の卑劣な策略によって命を奪われたことを痛いほど悟っていた。それゆえ、彼らに対して激しい復讐心を抱いて生きてきたのである。
即位したイ・サンは、「私は思悼世子の息子である」と高らかに宣言し、直ちに父を陥れた老論派の人間たちを厳しく処罰し始めた。彼にとって国王になるということは、まさに老論派への復讐を果たすための絶対的な権力を得ることであり、彼は念願どおりに父の無念を晴らしていく。
しかし、絶対的な権力を持つイ・サンであっても、どうしても手出しができず、処罰を断念せざるを得なかった一人の巨大な人物がいた。それが貞純(チョンスン)王后である。
彼女は祖父・英祖の二番目の正室(継妃)であり、思悼世子とは非常に折り合いが悪かった。そのため、老論派と結託して英祖と思悼世子の確執を深めるよう裏で工作した「最大の張本人」であった。
父の仇である彼女を、イ・サンが心の底から許せるはずもなかった。しかし、家族関係において貞純王后はイ・サンの「祖母」にあたる存在だったのだ。当時の朝鮮王朝が絶対的な国教としていた儒教では、目上の者を絶対的に敬う「長幼の序」が厳格に定められており、王家こそがその最高のお手本として法を遵守しなければならなかった。
いくら国王の権限をもってしても、孫が祖母を処罰することは道徳的、そして社会的に決して許されることではなかったのである。結局、イ・サンは憎き貞純王后を処罰できぬまま、己の感情を押し殺してその治世を過ごすこととなった。
輝かしい文化復興と、王朝を没落させた王后の復讐
イ・サンは個人的な憎しみに囚われることなく、国王として立派な善政を敷き、数多くの輝かしい業績をあげた。身分にとらわれない人材育成に力を注ぎ、実学(実生活に役立つ学問)を隆盛させることで庶民の暮らしを大きく向上させた。彼の治世は「朝鮮王朝のルネサンス」と呼ばれるほど文化的にも発展を遂げた。
しかし、これほどの類まれなる名君であっても、寿命だけはどうすることもできなかった。1800年、イ・サンは48歳という若さで突然崩御してしまう。あまりに急な死であったため、その死因については今なお「老論派と貞純王后による毒殺説」という疑惑が根強く残っている。
朝鮮王朝の悲劇はここからである。イ・サンの死後、わずか10歳の純祖(スンジョ)が第23代王として即位したが、幼すぎて政務を執ることができなかった。そのため、代理として政治を取り仕切る垂簾聴政(すいれんちょうせい)を行ったのが、あの貞純王后だったのである。
権力を握った彼女は、イ・サンが長年かけて進めてきた革新的な改革をことごとく潰し、彼が重用していた優秀な家臣たちを一斉に罷免した。さらに、自身の政敵である南人(ナミン)派にキリスト教徒が多かったことから、大規模な宗教弾圧(辛酉迫害)を行い、多くの命を奪った。
善政が後世に残らなかったという最大の無念
善政を尽くし、国を豊かにしたイ・サンとは真逆の、報復と粛清の政治を行ったのが貞純王后であった。結局、朝鮮王朝はイ・サンという稀代の名君を失い、その政治的遺産を完全に破壊されたことで、急速に国力を落とし衰退の道を辿ることとなってしまった。
名作ドラマ『イ・サン』や『赤い袖先』では、こうしたイ・サンの過酷な運命と人物像が非常にドラマチックに描かれている。特に『赤い袖先』では、主演のイ・ジュノが国王としての果てしない苦悩と、愛する者を守ろうとする気高さを立派に演じきり、世界中から高い評価を受けていた。
そうした映像作品を通して描かれていたイ・サンは、間違いなく正真正銘の名君だった。しかし、彼が血の滲むような努力で築き上げた善政が後世に残らず、結局は歴史の波に飲み込まれてしまった。そりことが筆者は本当に残念でならない。ドラマを見るたびに、その果てしない無念さを心から噛みしめている。
写真=MBC
文章執筆=康 熙奉(カン ヒボン)
ジュノ(2PM)主演の『赤い袖先』!宮廷ロマンスの背後で激しい火花が散っている
ジュノ(2PM)主演『赤い袖先』でイ・サン(正祖)に愛された宮女の壮絶な人生!
【大傑作の理由】ジュノ(2PM)主演『赤い袖先』は俳優陣の卓越した表現力と制作陣の執念が高度に結合!

