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タグ:歴史
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広開土大王(クァンゲトデワン)/三国高麗国王列伝1
第1回 領土を最も拡大した韓国が誇る英雄 高句麗(コグリョ)の旧都・国内城(クンネソン)があった中国の集安(チバン)市に行くと、高さ6・39m、重さ37トンのとても大きな碑石を見ることができる。この碑石で讃えられて… -
奇皇后の生涯!高麗王朝の怪女(後編)
中国大陸では、すでに元の国力が衰退していた。各地で農民たちの反乱も起き、元はまともに鎮圧する力も失っていた。このように元が弱くなると、高麗王朝での奇一族の立場もガラリと変わっていった。 わが… -
奇皇后の生涯!高麗王朝の怪女(中編)
元の皇帝トゴン・テムルの正室だったタナシルリは、奇皇后に執拗な嫌がらせをした。思い切り鞭で叩いたり、熱した焼きごてを肌にあてたり……。正気とは思えなかった。しかし、タナシルリの横暴も長く続かなかった。… -
奇皇后の生涯!高麗王朝の怪女(前編)
韓国時代劇『奇皇后』ですっかり有名になった高麗王朝時代の怪女……それが奇皇后だ。高麗王朝を屈伏させた中国大陸の大国「元」の皇后になるという快挙を達成した女性の波瀾万丈な人生を振り返ってみよう。 … -
奇皇后と善徳女王はどこが違っていたのか
長い朝鮮半島の歴史を見ると、女性が政権の中枢で活躍したのは非常に限定的で、歴史の中心はやはり男性だった。その中でも歴史を大きく動かす存在感を示した女性もいる。その最たる例が新羅(シルラ)時代の善徳(ソ… -
『王女の男』に登場する敬恵(キョンヘ)王女の生涯/後編
敬恵王女が生んだ子は男だった。彼女の元を訪ねた内官は、世祖(セジョ)が「男なら殺せ」と命じたこと、貞熹(チョンヒ)王后が「男なら私のもとに連れてきて」と言ったことを伝えた。熟慮した末に、敬恵王女は生ま… -
『王女の男』に登場する敬恵(キョンヘ)王女の生涯/中編
世祖(セジョ)は、敬恵王女の動向を気にした。彼女は「国で一番の美女」という評価も受けていて、庶民の間で人気が高かった。結局、世祖は、病床にある敬恵王女を見舞うという名目を付けて鄭悰(チョン・ジョン)を… -
『王女の男』に登場する敬恵(キョンヘ)王女の生涯/前編
「朝鮮王朝で一番美しかった王女」と称されるのが、15世紀に生きた敬恵(キョンヘ)王女である。彼女は波瀾万丈の生涯を送った女性だ。果たして、敬恵王女の人生とは、どういうものだったのだろうか。 … -
5大王宮の一つ「慶熙宮(キョンヒグン)」は歴史の荒波に翻弄されてきた
1592年、長く朝鮮王朝の正宮としての役割を果たしてきた景福宮(キョンボックン)が、豊臣軍の攻撃の際に焼失してしまった。戦乱が終わっても、王は住む場所にさえ困るようになった。そんな状況の中で、1617… -
朝鮮王朝の悲劇の王「端宗(タンジョン)」の最期とは?
11歳で朝鮮王朝の第6代王に即位した端宗(タンジョン)は、1455年に叔父の世祖(セジョ)に王位を奪われ、さらに流罪となった。その後の彼を待っていた運命はあまりに悲惨であったのだが……。 あ…