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タグ:歴史
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廃位となった光海君(クァンヘグン)!朝鮮王朝全史16
1608年に光海君(クァンヘグン)は即位した。しかし、彼の側近は危機感を強めていた。兄の臨海君(イメグン)や異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を支持する一派の巻き返しが恐かったのだ。 [cap… -
権力闘争に勝った光海君(クァンヘグン)!朝鮮王朝全史15
1592年4月に始まった朝鮮出兵。当初は豊臣軍が快進撃を続けた。両国の戦力に差が出たのは、鉄砲の存在も大きかった。すでに日本には戦国時代を通して鉄砲が伝えられており、王朝軍の弓矢や槍では相手にならなか… -
都を捨てて逃げた宣祖(ソンジョ)!朝鮮王朝全史14
14代王・宣祖(ソンジョ/在位は1567~1608年)が即位してから25年間が経過した1592年は、朝鮮王朝建国200年の節目の年だった。この記念すべき年に隣国からやってきたのは、祝賀の使節ではなく、… -
ファン・ジニ(黄真伊)の人生!朝鮮王朝の女流詩人
16世紀前半の11代王・中宗(チュンジョン)の統治時代に、ファン・ジニ(黄真伊)は実在していたのだが、生まれた年も死んだ年もわかっていない。彼女はまた、その時代の著名な学者や風流人とかなり交流していた… -
イ・バンウォン/李芳遠は妻の元敬(ウォンギョン)王后の一族を滅ぼした
李芳遠(イ・バンウォン)が1400年に3代王・太宗(テジョン)として即位すると、その妻は元敬(ウォンギョン)王后となった。朝鮮王朝のファーストレディになった元敬王后だが、その後に恐るべき事態が待ってい… -
イ・バンウォン/李芳遠は継母の神徳(シンドク)王后を一番憎んだ!
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)には2人の妻がいた。朝鮮王朝は一夫一婦制だが、李成桂が生まれ育った高麗王朝時代は一夫多妻制だったので、2人の妻を持つことが許されたのだ。李成桂が初代王になって故郷… -
チョン・ドジョン/鄭道伝はどんな人物だったのか
1392年に開国した朝鮮王朝。この王朝の基盤を作ったと言われているのが、儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。彼は悲惨な最期を遂げるのだが、果たしてどんな人生だったのだろうか。 &… -
イ・バンウォン/李芳遠はどんな人物だったのか?
1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼が初代王になる過程で、政敵の排除などで一番貢献した息子が五男の李芳遠(イ・バンウォン)だった。しかし、李成桂が後継者に指名したのは異母弟だった。 … -
イ・ソンゲ/李成桂は、どんな人物だったのか?
朝鮮王朝を建国して初代王・太祖(テジョ)となった李成桂(イ・ソンゲ)。518年間も続いた長寿王朝の中で、まさに伝説上の国王に祭り上げられたが、実際にはどんな人物だったのだろうか。 [captio… -
文定(ムンジョン)王后に翻弄された明宗(ミョンジョン)!朝鮮王朝全史13
文定(ムンジョン)王后の息子の慶源(キョンウォン)は、1545年に13代王の明宗(ミョンジョン)として即位した。彼は学問を好み性格も温和だったが、まだ幼かったために強引な母に頭が上がらなかった。実権の…