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タグ:歴史
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光海君(クァンヘグン)は暴君より名君?/朝鮮王朝人物列伝特選1
朝鮮王朝27人の王の中で暴君と称される10代王・燕山君(ヨンサングン)と、15代王・光海君(クァンヘグン)。しかし、近年では光海君の業績を見直そうとする動きがある。果たして、光海君は暴君なのか。それと… -
光海君(クァンヘグン)を追放した仁祖(インジョ)に大義名分はあるのか?(再読版)
1623年、綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれていた仁祖が15代王・光海君をクーデターで廃位させた事件は、歴史的に「仁祖反正」と呼ばれている。「反正(パンジョン)」には、間違った政治をただす、という意味が… -
7男1女を育て82歳まで生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)の人生!
ドラマ『華政(ファジョン)』の主人公になっていた貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。果たして、どのように波瀾万丈な日々を送ったのだろうか。彼女の結婚を中心にその人生をたどってみよう。 … -
太祖(テジョ/李成桂〔イ・ソンゲ〕)/朝鮮王朝おどろき国王列伝13
第13回 朝鮮王朝を建国した創始者 李成桂(イ・ソンゲ)の先祖は、全州(チョンジュ/現在は全羅〔チョルラ〕北道の道庁所在地)の豪族だった。しかし、李成桂は全州からはるかに遠い朝鮮半島北東部で生まれている… -
中宗(チュンジョン)/朝鮮王朝おどろき国王列伝12
第12回 重臣たちに頭が上がらない国王 中宗(チュンジョン)は燕山君(ヨンサングン)の異母弟で、実母に溺愛されて幸せに育った。一方の燕山君は実母が廃妃のうえに死罪になっており、孤独の中で育った。「同じ成… -
イ・サンこと正祖(チョンジョ)はどのように亡くなったのか
それは1800年6月のことだった。正祖(チョンジョ)は急な発熱で体調を崩した。からだに大きな腫れ物もできた。その痛みに苦しみながら、彼は薬を調合する現場を自ら視察している。毒殺されることを極度に警戒し… -
李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)になって何をしたのか?
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は初代王の太祖(テジョ)となったが、彼は神懿(シヌィ)王后との間に6男2女をもうけている。男子は上から、芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バ… -
仁祖(インジョ)と貴人(キイン)・趙氏(チョシ)が捏造した毒アワビ事件!(再読版)
朝鮮王朝の16代王・仁祖(インジョ)が食べるアワビの焼き物に毒が盛られていることが発覚したのは1646年1月3日のことだった。宮中は大騒ぎになった。それはそうだろう。王の食卓にのぼる料理に毒を盛るとい… -
『不滅の恋人』のイ・ガンのモデルは首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)!
5代王の文宗(ムンジョン)が1452年に亡くなり、11歳だった長男の端宗(タンジョン)が6代王となった。宮中では幼い端宗を籠絡しようと水面下での権力闘争が繰り広げられた。そんな宮中で、ひときわ強い存在… -
英祖(ヨンジョ)!一番長生きした国王(再読版)
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれた21代王・英祖(ヨンジョ)は、在位中に人事問題で大きな功績を上げたのだが……。 英祖…