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タグ:歴史
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仁祖(インジョ)は息子・昭顕世子を毒殺したのか
清での8年間に及ぶ人質生活を終えて、1645年2月に母国に帰ってきた昭顕(ソヒョン)世子。しかし、わずか2カ月で亡くなってしまった。あまりに不可解な急死。毒殺を疑われるのも当然だった。 … -
光海君(クァンヘグン)は暴君と名君のどちらなのか
朝鮮王朝27人の王の中で暴君と称される10代王・燕山君(ヨンサングン)と、15代王・光海君(クァンヘグン)。しかし、近年では光海君の業績を見直そうとする動きがある。果たして、光海君は暴君なのか。それと… -
『七日の王妃』でパク・ミニョンが演じた端敬王后の人生!
韓国時代劇の『七日の王妃』はタイトルの意味が深い。朝鮮王朝の歴史上、わずか7日間だけ王妃の座に就いた女性が存在する。それが、1487年に生まれて1557年に亡くなった端敬(タンギョン)王后である。 … -
注目の新刊『マンガでわかる!韓国時代劇のすべて』!
時代劇は韓国ドラマの中でも特に人気が高いジャンルなのだが、新しく時代劇の知識を深めることができる書籍が発売される。それが、新刊『マンガでわかる!韓国時代劇のすべて』(実業之日本社/1760円)であり、5月22日に発売にな… -
光海君を廃位にして国王になった仁祖はどこまで情けなかったか
16代王・仁祖(インジョ)は王になる前、光海君(クァンヘグン)を追放してクーデターを成功させるなど卓越した戦略性と優れた統率力を見せた。しかし、1623年に即位した後は、凡庸さばかりが目立つようになった。 1624年、… -
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)の確執の結末は?
1762年5月22日、初夏の柔らかな風が王宮の石畳を撫でていた頃、東宮に仕える羅景彦(ナ・ギョンオン)は、胸に怒りと不安を抱えながら静かに口を開いた。「世子が謀反をたくらんでいます」と――。 この告発は、あまりにも… -
粛宗(スクチョン)に寵愛された張禧嬪(チャン・ヒビン)はついに王妃になった
1688年10月のことだった。 粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は、ついに粛宗の息子を産んだ。2カ月半後、粛宗は、長男を「元子(ウォンジャ)」にしたいと言った。本来、王の正式な後継者は「世子(セジ… -
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)をどのような経緯で側室にしたのか
19代王・粛宗(スクチョン)が張禧嬪に初めて会ったのは1680年だ。張禧嬪は通訳官の親戚の紹介で王宮に入ってきて女官になった。絶世の美女だったことは間違いないので、艶福家の粛宗は一目で気に入った。 朝鮮王朝三大悪女(張… -
中宗(チュンジョン)の妻で『七日の王妃』に描かれた端敬王后の人生は哀しい
暴君だった燕山君(ヨンサングン)は、1506年にクーデターで王宮を追放されている。その燕山君に代わって王になったのが異母弟の中宗(チュンジョン)だった。それにともなって、中宗の最愛の妻だった端敬(タンギョン)王后は、朝鮮… -
光海君(クァンヘグン)は仁祖(インジョ)が指摘したとおりの暴君だったのか
1623年、仁祖(インジョ)がクーデターを起こして光海君(クァンヘグン)が廃位となった。そのとき、仁祖は光海君の悪政を指摘した。それは、「兄弟たちを殺した」ということと「多くの土木工事を行なって民衆の負担を大きくした」と…
















