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タグ:朝鮮王朝
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イ・バンウォン/李芳遠は継母の神徳(シンドク)王后を一番憎んだ!
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)には2人の妻がいた。朝鮮王朝は一夫一婦制だが、李成桂が生まれ育った高麗王朝時代は一夫多妻制だったので、2人の妻を持つことが許されたのだ。李成桂が初代王になって故郷… -
チョン・ドジョン/鄭道伝はどんな人物だったのか
1392年に開国した朝鮮王朝。この王朝の基盤を作ったと言われているのが、儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。彼は悲惨な最期を遂げるのだが、果たしてどんな人生だったのだろうか。 &… -
イ・バンウォン/李芳遠はどんな人物だったのか?
1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼が初代王になる過程で、政敵の排除などで一番貢献した息子が五男の李芳遠(イ・バンウォン)だった。しかし、李成桂が後継者に指名したのは異母弟だった。 … -
イ・ソンゲ/李成桂は、どんな人物だったのか?
朝鮮王朝を建国して初代王・太祖(テジョ)となった李成桂(イ・ソンゲ)。518年間も続いた長寿王朝の中で、まさに伝説上の国王に祭り上げられたが、実際にはどんな人物だったのだろうか。 [captio… -
文定(ムンジョン)王后に翻弄された明宗(ミョンジョン)!朝鮮王朝全史13
文定(ムンジョン)王后の息子の慶源(キョンウォン)は、1545年に13代王の明宗(ミョンジョン)として即位した。彼は学問を好み性格も温和だったが、まだ幼かったために強引な母に頭が上がらなかった。実権の… -
仁宗(インジョン)を毒殺した文定(ムンジョン)王后!朝鮮王朝全史12
1544年、朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)は臣下たちの権力争いに苦しめられていた。そうした気苦労は中宗の体調を悪化させた。病に倒れた中宗は、長男に王位を譲った翌日に亡くなった(文定王后につい… -
朝鮮王朝の女官が所属した内命婦(ネミョンブ)とは?
どの王朝にもかならず裏を仕切る女官たちが存在し、厳しい権力闘争を繰り返してきた。日本では「大奥」、そして、朝鮮王朝では「内命婦(ネミョンブ)」である。朝鮮王朝の女官たちの組織をのぞいてみれば……。 … -
中宗(チュンジョン)と趙光祖(チョ・グァンジョ)!朝鮮王朝全史11
1506年に即位した中宗(チュンジン)は、燕山君が行なった悪政を正すことに全力を注いでいった。まず、伝統的な学び舎である成均館(ソンギュングァン)の復活を急ぎ、虐殺事件によって被害を受けた人たちの名誉… -
中宗(チュンジョン)が即位!朝鮮王朝全史10
多くの血が流れた「甲午士禍」が終わった後の宮中は、無残な荒野のようだった。二つの虐殺事件の後、燕山君(ヨンサングン)の暴政はさらに悪化していき、庶民の暮らしは貧窮を極めた。 国家の一大事 … -
イ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)はどんな人だったのか?
『雲が描いた月明り』で主人公になっていたイ・ヨンは歴史上では孝明(ヒョミョン)世子という名でよく知られている。聡明で名君になる素質が十分だったのに、彼の才能が日の目を見ることはなかった。なぜ、そうだっ…