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過去の記事一覧
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チャングム(長今)を生んだ朝鮮王朝の医女の制度とは?
韓国時代劇の傑作といえば、なんといっても『宮廷女官 チャングムの誓い』だ。このドラマには多くの医女が出てくる。彼女たちの存在は、どのような必然性から生まれたのだろうか。 医女は宴会にもかり出… -
トンイから徹底的な教育を受けた英祖(ヨンジョ)!朝鮮王朝全史21
後世において名君と称された21代王の英祖(ヨンジョ)。彼がそこまで評価されたのは、母である淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の影響が大きい。彼女はドラマ『トンイ』の主人公のモデルだった女性だ。 … -
張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子の景宗(キョンジョン)が即位!朝鮮王朝全史20
正室の座を手に入れた張禧嬪(チャン・ヒビン)は、その後、ますますわがままが目立つようになり、時には粛宗(スクチョン)にさえ意見をした。粛宗はそんな張禧嬪にいら立ちをつのらせていった。 呪いの… -
張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛した粛宗(スクチョン)!朝鮮王朝全史19
長い間の人質生活によって清に反感を持っていた孝宗(ヒジョン)は、王になるとすぐに清に好感を持つ高官たちを追放した。そして、清がロシアの軍勢に苦しめられているという大義名分を得て、北伐の準備を強行した。… -
不可解な昭顕世子(ソヒョンセジャ)の死!朝鮮王朝全史18
16代王・仁祖(インジョ)は、クーデターを起こして先王の光海君(クァンヘグン)を追放して1623年に即位するが、彼には多くの困難が待ち受けていた。特につらかったのが、異民族の侵攻を度々受けたことだった… -
〔編集〕韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(後編)
1926年には、朝鮮王朝最後の王だった27代王・純宗(スンジョン)が亡くなりました。6月10日に国葬が行なわれましたが、その際に「独立万歳」を叫んだ学生たちと日本の官憲が衝突しました。再び抗日運動が激… -
〔編集〕韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)
1910年8月22日、日本と大韓帝国の間で「日韓併合ニ関スル条約」が調印されました。この条約は8月29日に公布され、同時に、518年続いた朝鮮王朝が滅亡しました。朝鮮半島に朝鮮総督府が置かれるようにな… -
中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?
『宮廷女官 チャングムの誓い』を始めとして、多くの時代劇に登場してくる中宗(チュンジョン)。この国王は、1506年から1544年まで38年間も王位に就いていたのだが、なぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を… -
〔編集〕韓国はなぜ日本の植民地になったのか(後編)
閔氏(ミンシ)亡きあと、朝鮮王朝には親日政権が誕生しました。しかし、1896年2月に高宗(コジョン)はひそかに王宮を脱出してロシア公使館にたてこもり、親日派の高官たちを次々に処罰しました。以後、朝鮮王… -
〔編集〕韓国はなぜ日本の植民地になったのか(中編)
日本の朝鮮半島への介入において、先兵のように動いたのが軍艦の雲揚号でした。この雲揚号が1875年9月に、朝鮮王朝の国防の拠点とも言える江華島(カンファド)の沖で挑発的な行動を取りました。朝鮮王朝側も応…