光海君(クァンヘグン)の没落!朝鮮王朝の重大な事件簿4

 

朝鮮王朝15代王・光海君(クァンヘグン)は、10代王・燕山君(ヨンサングン)と同じく暴君として知られているが、彼の業績を見直そうという動きもある。果たして、光海君は本当に暴君なのだろうか。

ドラマ『華政』で光海君を演じたチャ・スンウォン

ドラマ『華政』で光海君を演じたチャ・スンウォン




光海君の活躍

光海君は、14代王・宣祖(ソンジョ)の二男として生まれた。臨海君(イメグン)という兄がいたが、2人の母親は正室ではなく側室だった。しかし、宣祖の最初の正室である懿仁(ウィイン)王后は病弱で子供を産めなかったため、後継者は臨海君と光海君の2人から選ばなければならなかった。
朝鮮王朝には「長男が後継者になる」という原則があり、候補の筆頭となるのは臨海君だが、彼の評判は良くなかった。臨海君の性格は粗暴であり、1592年に起きた豊臣軍の朝鮮出兵(壬辰倭乱〔イムジンウェラン〕)で豊臣軍の捕虜になってしまい、釈放された後も乱れた生活をしていた。
一方の光海君は、指導者の1人として豊臣軍に対抗したことで高い評価を得ていた。




結果的に、光海君は父親の宣祖によって後継者に指名されたが、その情勢を一変させるできごとが起きる。
宣祖の二番目の正室である仁穆(インモク)王后が、1606年に嫡男(正室が産んだ子供)の永昌大君(ヨンチャンデグン)を産んだのである。それを喜んだ宣祖は、永昌大君をさっそく世子(セジャ)にしようとする。そのために相応の手続きが必要なのだが、それができないまま、宣祖は1608年に世を去ってしまう。(ページ2に続く)

仁祖(インジョ)の屈辱!朝鮮王朝の重大な事件簿5

光海君(クァンヘグン)は暴君なのか?名君なのか?

廃位となった光海君(クァンヘグン)の最期の地は済州島だった!

光海君(クァンヘグン)の末路!彼は王宮を追放された後にどうなった?

〔物語〕もし光海君(クァンヘグン)が現代に甦ったら何を語る?

光海君(クァンヘグン)はなぜ兄の臨海君(イメグン)をさしおいて王になれたか?

固定ページ:

1

2 3 4

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る