朝鮮王朝人物列伝/第3回
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれた21代王・英祖(ヨンジョ)は、在位中に人事問題で大きな功績を上げたのだが……。
英祖の誕生
1720年に朝鮮王朝19代王・粛宗が亡くなった。その後を継いだのは、朝鮮王朝3大悪女の1人である張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に生まれた20代王・景宗(キョンジョン)だ。彼は、名君になれる素質があった。しかし、身体は病弱であり、そこに目をつけたのが老論派(ノロンパ)だった。このときにある派閥争いが起きている。
争いを起こした2つの派閥は、老論派と少論派(ソロンパ)だ。もともとは西人派(ソインパ)という1つの派閥だったが、実権を握った際に内部で対立を起こして派閥が分裂したのだ。一方の少論派は景宗を支持し、もう一方の老論派は粛宗と叔嬪・崔氏の間に生まれた延礽君(ヨニングン)を支持した。
どちらも相手の派閥を落とすために、あらゆる手段を用いる。その派閥争いの影響で、何人もの官僚が処罰され、政治は混乱するばかりだった。結果的として政権を掌握したのは景宗を支持していた少論派で、老論派は追放されてしまう。しかし、身体が弱かった景宗はわずか在位4年2カ月で世を去ってしまい、少論派の天下は終わりを迎えた。
本来なら景宗の子供が後継ぎになるのが当然だが、彼には子供が1人もいなかったので、異母弟の延礽君が21代王・英祖として即位した。それにより、一度は追放された老論派が息を吹き返した。派閥闘争とは名ばかりで、最終的に誰が王になるかで盛衰がはっきりするのである。(ページ2に続く)