閔氏(ミンシ)亡きあと、朝鮮王朝には親日政権が誕生しました。しかし、1896年2月に高宗(コジョン)はひそかに王宮を脱出してロシア公使館にたてこもり、親日派の高官たちを次々に処罰しました。以後、朝鮮王朝はロシア寄りの政治姿勢を鮮明にしたのです。
日露戦争が始まる
高宗がようやくロシア公使館から王宮に戻ったのは1年後でした。彼は1897年10月に国号を「大韓帝国」と改めて初代皇帝の座に就きました。
それ以前、朝鮮王朝は中国に気兼ねして自ら皇帝と称することはせず、格が1つ下がる形の「王」を自称していました。しかし、日清戦争において日本が勝利したことで、清は朝鮮半島で影響力を失い、朝鮮王朝は独立の証として「帝国」を名乗るようになったのです。
1898年には高宗の父の興宣(フンソン)大院君が世を去りました。高宗を取り込むようにして主導権を争っていた閔氏と興宣大院君が相次いで亡くなり、朝鮮王朝の命運もいよいよ危なくなりました。
20世紀に入ると、日本とロシアの対立が非常に激しくなり、1904年2月に日露戦争が始まりました。
いちはやく大韓帝国は中立を宣言しましたが、日本はその意向を無視し、軍事力を背景に朝鮮半島の全土を支配下に置きました。(ページ2に続く)
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