ハン・ヒョジュ主演『トンイ』の史実で何が起きたのか/第3回「仁顕王后」

 

明聖王后は1683年に世を去った。まだ41歳だったが、我が子を溺愛する気持ちが死因の一つとなっている。
というのは、粛宗が重い病を患ったとき、お祓〔はら〕いの祈祷をした巫女〔みこ〕から“殿下には母様の悪霊がとりついています”と指摘され、自ら身を清めるための水浴びを繰り返した無理がたたったのである。粛宗のほうは全快しているので、母は自らの身を犠牲にして息子を救ったともいえる。




明聖王后が亡くなったあと、再び仁顕王后は人の良さをさらけだす。王のためには寵愛する女性が必要だと考え、張玉貞を宮中に呼び戻すことを粛宗に進言したのである。
もちろん、粛宗に異論があるはずがない。彼はただちに張玉貞を呼び戻した。
本来なら、自分を宮中に呼び戻してくれた仁顕王后に感謝して当然なのに、張玉貞の態度はむしろ逆だった。
ある日、粛宗が張玉貞をたわむれにからかうと、彼女はわざとらしく仁顕王后のもとに駆けつけて「助けてください」と大げさに言った。これは、自分がいかに粛宗に愛されているかを見せつけるためだった。
「王の意にもっと従わなければいけませんよ」
仁顕王后がそう忠告しても、張玉貞は顔をそむけるばかりだった。
その後は、仁顕王后が張玉貞を呼んで何かを言いつけても、横柄な態度を示すだけとなり、しまいには呼んでも無視する場合すらあった。
ついに、仁顕王后も堪忍袋の緒が切れた。彼女は人を見る目の甘さを自覚せざるをえなかった。
「あの女はいけません。他の女性をお抱えください」
仁顕王后は粛宗にそう進言した。彼女は遅ればせながら、明聖王后の言葉の正しさをしみじみと実感する羽目となった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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