もし王になっていたら
政治の表舞台に立った孝明世子は、人事面で力を発揮した。母親の純元王后の力で要職を安東・金氏の一族が占めていたが、孝明世子は豊壌・趙氏の一族を重用することで、新しい人材を積極的に登用していった。さらに、戸籍法を整備して刑罰の改善を行なうなど、統治においても見事に力を発揮した。
しかし、1830年の閏4月22日に孝明世子が喀血(かっけつ)したことで、深刻な事態となった。
漢方薬に詳しい官僚も加えた王家の治療チームによって、孝明世子の病状はいったん落ち着いた。しかし、5月5日に再び病状が急変して危篤となり、5月6日に21歳で世を去った。
数多くの才能を持っていた孝明世子。もし彼が王になっていれば、朝鮮王朝は大きな変化を見せていたはずなのだが……。
孝明世子(ヒョミョンセジャ/名はイ・ヨン)はどれほど優秀だったのか?