埋めたり掘り返したり
碑の表側の左にモンゴル文字、右に満州文字、裏側には漢字が刻まれている。
これだけの文字が刻まれているので、碑は17世紀における3つの言語を研究するうえで重要な第一級の史料となっている。
1895年、日清戦争で清は日本に敗北して朝鮮半島での影響力を失った。
当時の朝鮮王朝を統治していた26代王・高宗(コジョン)は、碑文の屈辱的な内容に我慢できなかった。
そこで、碑を地面に埋めるように王命を発した。
しかし、植民地時代の1913年に日本の指示で掘り返された。
さらに、1956年には文教省の指導によって再び石碑は地面に埋められた。
このあたりは、石碑の扱いがめまぐるしく変わっている。
結局、碑は1963年に洪水が起こったときに再び地面に姿を現したので、最終的に史跡第101号に指定された。
2010年、石碑は本来あった位置に最も近い場所に移設されるようになり、現在に至っている。
その場所はソウルの蚕室(チャムシル)で、ロッテワールドの近くである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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