千秋太后(チョンチュテフ)とは誰なのか/高麗王朝人物列伝3

「千秋宮」という尊称

943年に王建が亡くなったあと、高麗王朝では王位継承をめぐる混乱があったが、10世紀の末になると国内が安定を取り戻していた。そして、997年に千秋太后の息子が7代王・穆宗として即位した。
穆宗はまだ17歳であり、千秋太后は王の母といっても33歳と若かった。血気盛んな年齢だったこともあり、王の母として背後で影響力を行使することにとどまらず、千秋太后は自ら政権の前に進み出て、強力な指導力を発揮した。ちなみに、千秋太后は王宮の中で「千秋宮」に住んでいたことからその尊称で呼ばれた。




特に彼女が力を入れたのが北方の防衛だった。当時、契丹が勢力を強めて高麗王朝の領土を奪う動きを見せており、千秋太后は北の国境沿いに多くの城塞を築いた。この功績は大きく、城塞は契丹の侵入を防ぐ有効な砦となった。
その一方で、千秋太后の悪行の一つとされたのが、穆宗の後継者をめぐる暗躍だった。彼女は自分の愛人だった金致陽(キム・チヤン)と一緒に政治を仕切っていたが、我が子の穆宗に息子がいなかったために、いつも後継者問題で頭を痛めていた。
ついには、金致陽との間に生まれた息子を次代の王に即位させようと考えた。それを実現させるために、他の有力な後継者候補の命を狙おうとした。そんなたくらみが発覚して、千秋太后に対する不満が宮廷内でも大きくなっていった。
(ページ3に続く)

簡潔に読む!韓国の歴史〔高麗王朝の歴史(前編)〕

簡潔に読む!韓国の歴史〔高麗王朝の歴史(後編)〕

太祖(テジョ)と呼ばれた王建(ワン・ゴン)/高麗王朝人物列伝1

光宗(クァンジョン)とは誰なのか/高麗王朝人物列伝2

固定ページ:
1

2

3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る