保守的なエリートたち
朝鮮王朝の行政を見れば一目瞭然だ。
軍事を担う兵曹(ピョンジョ)という官庁では、その長官にあたる判書(パンソ)は、正二品の文官であった。それだけではない。次官にあたる賛判(チャンパン)は従二品の文官。つまり、朝鮮王朝では軍事すらも文民統制が徹底していた。
今でこそシビリアン・コントロールが政治形態の趨勢(すうせい)になっているが、朝鮮王朝は最初から最後までずっとそうだった。
しかも、政権中枢を担う文官は、すべて科挙に合格してきた官僚たちだった。科挙の試験は朱子学の論理をどれだけ身に付けているかが問われる。合格者は朱子学者と言っても過言ではなかった。
彼らの信条は礼論を守ることだった。
この場合の礼論とは、挨拶をしっかりするとか、謙虚に振る舞うとか、そういった礼儀の問題ではない。決められている格式と序列をどれくらい意識的に守れるか、ということなのだ。
つまり、朝鮮王朝で出世してくるような文官は、朱子学の価値観に基づいて前例を踏襲する保守的なエリートたちばかりだったと言える。(ページ3に続く)
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