貞明公主と光海君
懿仁王后は1600年に亡くなったので、宣祖は再婚をした。二番目の正室として迎えたのが仁穆(インモク)王后だった。
そして、仁穆王后が1603年に産んだのが貞明公主であり、1606年に産んだのが永昌大君(ヨンチャンデグン)である。
光海君からみれば、貞明公主は異母妹にあたる。
とはいえ、光海君は側室から生まれており、貞明公主は正室から生まれている。ここに、大きな格の違いがある。(ページ3に続く)
懿仁王后は1600年に亡くなったので、宣祖は再婚をした。二番目の正室として迎えたのが仁穆(インモク)王后だった。
そして、仁穆王后が1603年に産んだのが貞明公主であり、1606年に産んだのが永昌大君(ヨンチャンデグン)である。
光海君からみれば、貞明公主は異母妹にあたる。
とはいえ、光海君は側室から生まれており、貞明公主は正室から生まれている。ここに、大きな格の違いがある。(ページ3に続く)
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