親明事大主義
綾陽君は光海君に代わって王位についた。彼が16代王の仁祖(インジョ/在位は1623~1649年)である。
仁祖はすぐに、光海君時代の奸臣を徹底的に排除した。そして、改めて明(中国大陸の大国)に従事するという意味の「親明事大主義」を表明し、政治の安定を図った。
「大国である明に従うことで、外敵の脅威をなくして国政に集中できるはずだ」
こうした政策を進めようとした仁祖だったが、最初から難関にぶつかった。仁祖政権開始から1年も経たずに内乱が起きたのだ。
首謀者は、仁祖が起こしたクーデターで貢献した李适(イ・グァル)だった。
彼は、輝かしい実績をあげながら、辺境の守備隊長にされていた。しかし、仁祖は彼をないがしろにしたわけではなく、むしろ正当に評価していた。当時の朝鮮半島の北方では後金が建国されて猛威をふるい、明や朝鮮王朝を脅かしていた。それを平定する力が李适にあると仁祖は信じていたのだ。
「彼の戦闘経験と用兵術ならば、後金の侵攻を抑えてくれるはず」
仁祖の願い通り李适は1万の兵を率いて、辺境守備に力を注いだ。しかし、大軍を指揮する李适を恐れた他の臣下たちは、彼を陥れようと画策した。
「謀反の疑いがあります」
仁祖はその報告に神経をとがらせた。彼は李适をあつく信頼していたので、簡単には惑わされず、まずは事実の確認を急がせた。
その結果、報告が嘘であることが発覚した。(ページ3に続く)
光海君(クァンヘグン)を支えた金介屎(キム・ゲシ)/悪女たちの朝鮮王朝3
光海君(クァンヘグン)が仁穆(インモク)王后に復讐された日(前編)