文定(ムンジョン)王后に翻弄された明宗(ミョンジョン)!朝鮮王朝全史13

文定王后の最期

1565年、明宗が即位して20年が経った頃、文定王后は死の床にあった。彼女は最
期のときを迎えても、信奉していた仏教の将来を案じていた。しかし、本来の国教は儒教であり、仏教は排斥の対象となっていた。
「この国では仏教は異端なので、私の死後、殿下はこれを禁止するかもしれません。でも、せめて宮中では私の意思を尊重してください」
文定王后はそう願いながら他界した(尹元衡と鄭蘭貞は最大の後ろ楯を失って自害せざるをえなかった)。
このとき、明宗はどう対応しただろうか。亡き母の意思をくんであげたのか。




否である。ようやく絶対的な王として君臨できるようになった明宗は、国の方針である
崇儒排仏(儒教を崇めて仏教を排斥すること)にこだわった。政治的にも彼は一本立ちしたのである。
権力欲に取りつかれた文定王后が亡くなったあと、庶民は明宗の善政に期待した。しかし、気苦労の絶えなかった彼は、母の死の2年後に、床に伏せるようになった。
明宗に息子がいなかったために、周囲は王が誰を後継者に指名するのか気をもんだ。
かつて、明宗が自分の血筋にあたる子供たちを集めたことがあった。そして、自分の王冠を子供たちに渡し、「お前たちの頭の大きさを比べてみよう」と言った。
子供たちは無邪気に王冠をかぶった。しかし、一番年少だった河城(ハソン)は、王冠を両手で受け取るやいなや、それを王に返した。(ページ3に続く)

明宗(ミョンジョン)は何をした?『オクニョ 運命の女』に登場

文定(ムンジョン)王后!仁宗(インジョン)を毒殺した(?)冷血な継母

尹元衡(ユン・ウォニョン)は何をした?『オクニョ 運命の女』に登場

仁宗(インジョン)!毒殺された可能性のある王

固定ページ:
1

2

3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る