巨星が落ちるとき
芳果は2代王の定宗(チョンジョン)となったが、実力があったのは芳遠だ。臣下たちも、芳遠が実質的な権力を握っていることを知っていた。
また、定宗には子供がいなかったために、次に王になるのは芳遠だと誰もが思っていた。しかし、王朝にはさらなる混乱が待っていた。4男の芳幹も王位を狙っていたのだ。
<芳遠が生きている限り、オレが王位につくのは難しい。あいつさえどうにかできれば、次の王位はオレのものだ>
芳幹は芳遠を討つ時期を狙い、力を蓄えていった。芳遠も抜け目がない。彼もまた、戦の支度を進めていた。
ついに2人の王子の争いが始まった。
しかし、高麗の時代から荒事を一手に任されてきた芳遠にかなうはずがなかった。戦いに敗れた芳幹は島流しにされた。これが「第二次王子の乱」だ。
こうなると、次に身の危険を感じたのは定宗だ。
<このまま王位についていたら、いずれ芳遠に殺されてしまう……>
そう悟った定宗は1400年に芳遠に王位を譲り隠居した。こうして、芳遠は3代王の太宗(テジョン)になった。
念願の王になった芳遠は、民心を安定させることに力を尽くした。そんな太宗だが、心残りがひとつだけあった。太祖が太宗の即位を認めず、王の証である玉璽(ぎょくじ)を持って故郷の咸興(ハムン)にこもっていたのだ。
<ようやく、王位についたというのに、玉璽がなければ完璧な王とは言えない>
太宗は太祖がいる咸興に向かって、定期的に使者を送り続けた。送られた使者はことごとく太祖に殺され、誰ひとり戻ることはなかった。
そんな日々が続くと太祖は自身のわがままのために、罪のない使者たちの命を奪ったことを後悔し始めた。王になるきっかけを作ってくれた無学大師の説得を受け、都に戻る決心をした。
そして、太祖は太宗に玉璽を渡すと、その後は隠居した。その後、1408年にこの世を去った。朝鮮王朝を作り上げた巨星の最期はとても穏やかだった。
文=慎虎俊(シン・ホジュン)