歴史的な回軍
高麗において最大の功を成してきた2人の対立に、王は頭を悩ませたが、国家の主である以上、決断せざるをえなかった。
「李将軍の言葉も一理ある。しかし、我が高麗の民の生活を豊かにするためにも、遼東の地を手に入れることは必要なことだ。よって、崔将軍は首都防衛の任に就き、李将軍は10万の軍勢を率いて遼東の地を制圧せよ!」
いくら李成桂でもこれ以上王の命令に背くことはできなかった。
こうして彼は10万の大軍を率いて遼東の地を制圧しに向かった。
しかし、李成桂の懸念通り、連日の雨で兵士たちの間に伝染病が流行した。そのため、高麗の軍勢は鴨緑江(アムノッカン)の中流にある威化島(ウィファド)にて留まらざるをえなくなった。その間も兵たちの士気の低下は著しかった。
こうした状況を憂いた李成桂は、王に兵を引き返す許可を求めるが、一度下された命令が覆ることはなかった。李成桂は憤りを隠せなかった。
<国を思う私の忠告も聞かず、ろくに戦況も把握できずに兵を死なそうとする者を、私は王として仰がなければならないのか……。将である私1人が死ぬ分には構わないが、不甲斐ない私のためにこれ以上兵を殺すわけにはいかない>
葛藤の結果、李成桂は威化島にて全軍を引き返す決意をした。この決断をしたことで、李成桂は王命に逆らった反逆者として処罰されるしかなかった。しかし、彼は降りかかる困難をただ見ているだけの男ではなかった。
「あの時に見た夢はこれが原因だったのかもしれない。私は新たな王となり、この高麗に平穏な秩序を設けよう」
李成桂は断固たる決意を胸に秘め、都へと軍を引き返した。凱旋ではなく反逆者として戻る軍を官軍は許さず、いたるところで戦闘が始まった。もはや退路のない李成桂たちは果敢に戦い、彼らの勢いは官軍を上回った。
最後に、都に戻ってきた李成桂の軍勢の前に崔瑩将軍が立ちはだかった。高麗最高の武将と言われる2人の対決だったが、軍配は李成桂の側にあがった。
勝利した李成桂は、王を牢に入れ、高麗の完全なる実権を握った。
文=慎虎俊(シン・ホジュン)
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