奇皇后は美しく英明であった
なぜ、奇氏一族はこれほど有能な人材を輩出できたのか。
それは古代からの名門だった奇氏一族が、家門を守ってそれぞれに結束して子弟の教育に熱心に取り組んだからである。
その恩恵を奇皇后自身も享受している。
彼女は貢女(コンニョ)として元の国に渡らざるをえなかったが、奇氏一族の伝統を受け継いで聡明な考え方ができたからこそ、異国で皇后の座に就くという快挙を成し遂げたのである。
韓国の姓氏解説書の「韓国姓氏大観」(1971年発行)は、奇皇后について次のように記述している。
「奇皇后はとても美しく英明であったと伝えられている。当時、元の高官たちは高麗の美人たちを連れていって妻や妾にする慣習を持っていた。そのときの高麗の美人たちは高麗の服飾を固守しており、一時は元で新しいタイプの美人が“高麗様子”と呼ばれ、特に宮中で大いにもてはやされた」
こうした記述を見ても、奇皇后を初めとする高麗の女性たちがいかに元の国に影響を与えたかがわかる。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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