後継者に選ばれたのは?
新たな王として即位した太祖は、真っ先に王朝の正統性を確立することに取り組んだ。そうでなければ、「逆賊が作った王朝」と言われかねないし、高麗に代わる必然性を示す必要があった。
その際に太祖が頼ったのが中国の明である。「朝鮮」と「和寧(ファリョン)」という2つの国号を用意して、明にお伺いをたてた結果、国号は「朝鮮」に決まった。
この「朝鮮」は、紀元前の建国神話の時代から受け継がれてきた国名であるため、正統性という意味では、これほど由緒ある国号はない。
太祖には妻が2人いた。最初の妻の神懿(シヌィ)王后は、芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳穀(バンウィ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バンウォン)、芳衍(バンヨン)の6人の息子を産んだ。しかし、神懿王后は、朝鮮王朝が建国される1年前の1391年に世を去ってしまった。
もう1人の妻の神徳(シンドク)王后は、太祖との間に芳蕃(バンボン)と芳碩(バンソク)という2人の子供を産んでいる。
太祖は、その8人の息子の中から後継者を選ぶことになる。一番有力なのは、朝鮮王朝建国の際に尽力した五男の芳遠だ。彼は「父上の後を継げるのは自分しかいない」と思っていた。しかし、太祖が後継者に指名したのは八男の芳碩だった。(ページ3に続く)