淑嬪・崔氏をめぐる3つの説
「朝鮮王朝実録」を読んだだけでは、淑嬪・崔氏がどういう人かまったくわかりません。彼女に関する記述が少なすぎるからです。しかし、野史(民間に伝承されている歴史書)によると、淑嬪・崔氏の出現には3つの説があります。
1つは、7歳のときにムスリ(下働きをする女性)として王宮に入ってきたという説。王宮の中では、水をくむとか掃除をするとか、そういう下働きをする女性が多くいました。女官というのは一応はエリートの女性であって、下働きはしません。一方、水をくむというのは大変な重労働で、こういう仕事は身分が低い人たちにやらせていました。そのムスリの1人が淑嬪・崔氏だったというわけです。
第2の説は、仁顕王后が1681年に粛宗の二番目の正室として宮中入りしたとき、淑嬪・崔氏も下女として一緒についてきたというものです。
第3の説は、ちょっと耳を疑うような話です。水くみのムスリに違いはないのですが、すでに結婚していて子供が2人いたというものです。
そもそも、女官というのは未婚でなければなれません。ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でもわかるように、5歳くらいに見習いとして宮中に入ってきた女の子が、10数年の修業を経て一人前の女官になっていきます。
その一方で、ムスリは結婚していても問題はなかったのです。しかし、後に粛宗の寵愛を受ける淑嬪・崔氏にすでに子供が2人いた、というのは信じがたい話です。あくまでも噂に過ぎませんが……。(ページ3に続く)