明宗の場合の垂簾聴政
朝鮮王朝で最初に垂簾聴政を行なったのは、9代王・成宗(ソンジョン)が即位したときの貞熹(チョンヒ)王后だった。
彼女は、成宗の祖母である。
幼い王に代わって実質的に政治を仕切るので、垂簾聴政を行なう王族女性は絶大な権限を握った。そうした女性たちの中で、特に悪評が高いのが、『オクニョ 運命の女(ひと)』にも登場する文定(ムンジョン)王后である。
彼女は11代王・中宗の三番目の正室であり、1534年に明宗を産んでいる。
本来なら、明宗は中宗の二男だったので、王位に就ける可能性は高くなかったのだが、中宗の後を継いだ長男の12代王・仁宗(インジョン)が即位8カ月で急死したことによって、二男の明宗に王位がまわってきたのである(仁宗は文定王后に毒殺された可能性がきわめて高いのだが……)。(ページ3に続く)
明宗(ミョンジョン)は何をした?『オクニョ 運命の女』に登場
文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が仕組んだ悪行