聡明な王の誕生
1418年、忠寧は4代王・世宗となった。実際に実権を握っていたのは父親の太宗だったが、まだ若くて経験の足りなかった世宗にとって、悪いことではなかった。そして、1422年に太宗が世を去って、世宗は正真正銘の王となったのである。
もともと聡明だったうえに、経験を積んで実務にも慣れた世宗は大いに力を発揮した。類まれなる指導力は政治や経済、文化や社会など幅広く及んだ。
世宗は、王に集中していた権力を分散させ、後継ぎにも一定の権力を与えた。その理由は、王に不備があった際に混乱が起きないようにするためだった。彼はとても国民を愛し、臣下の者たちを信頼した。さらに世宗は人事を活用することにも優れており、身分が低くても能力がある者には役職を与えたのだ。しかし、その一方で、コネによって人事を歪めることを極端に嫌った。それについては、こんな話がある。
世宗が寵愛していた女性が、「私の兄に役職を与えてください」と頼み込んできた。本来なら願いをかなえてあげたいところなのだが、世宗はそれをはっきりと断り、以降はその女性を遠ざけてしまう。
さらに、世宗は側近たちの手を煩わせることもしなかった。
彼が病気になったとき、側近が「効能に優れている白い雄鶏、黄色い雌鳥、羊の肉を献上いたしましょう」と言ってきた。しかし、世宗は「我が国には羊がいないではないか。病気を治すためとはいえ、むやみに殺生してはならん」と断った。本当にとても優しい心を持った王だった。(ページ3に続く)