仁宗として即位した峼
1544年、峼は病気になった父親の中宗を必死に看病するが、その甲斐もなく中宗は世を去ってしまう。父親の死を深く悲しんだ峼は、それから5日間は飲み物を飲まなかった。それが噂として広まると、人々は彼をとても親孝行な息子だと讃えた。
その一方で、側近たちは「このままでは、いつか倒れてしまう」と心配した。実際に少しずつ体調を崩していった峼は、12代王・仁宗として即位しても、体調が悪いままだった。
その原因が看病疲れであることは、誰の目から見ても明らかだった。それでも、仁宗は父親の死は自分の責任だと、自らを責め続けた。周りの者たちは王の心配をしていた。
しかし、自分の息子を王にすることだけを考えていた文定王后は、仁宗に対して冷たい態度を取った。最初の火事で仁宗の殺害に失敗していた彼女は、王を毒殺することを考えていたと思われる。
朝鮮王朝27人の王の中には、毒殺された可能性のある王が何人かいるが、仁宗もその1人である。彼が亡くなったときの出来事を見てみよう。(ページ3に続く)