張禧嬪を妻に迎えた粛宗
粛宗には合計で6人の正妻がいて、その中には「朝鮮王朝3大悪女」の1人である張禧嬪(チャン・ヒビン)もいた。
粛宗は、宮中に下働きとしてやってきた張禧嬪の美貌に一目ぼれし、一夜を共にすることもあった。彼の母親である明聖王后は「この女はいつかわざわいを起こす」と思い、張禧嬪を王宮から追い出した。
1683年、明聖王后が世を去った。その後、粛宗の正妻である仁顕(イニョン)王后は張禧嬪を王宮に戻したが、すぐにそれを後悔することになる。粛宗の寵愛を受けた張禧嬪は仁顕王后にお礼も言わずにわがままに振る舞うようになった。
このときの粛宗の悩みは自分の子供がいないことだったが、1688年に張禧嬪が子供を産んだことで解消された。それが仁顕王后の立場をさらに不利にしたのである。
粛宗が張禧嬪との間に生まれた子供を元子(ウォンジャ)にしようとした。そのことに対して、「仁顕王后様はまだ21歳と若いので、まだ子供を産む可能性がございます。もう少し待つべきです」などの反対意見が飛んだ。しかし、どんなに反対意見が出ようとも、粛宗は自分の意見をまったく変えなかった。(ページ3に続く)
淑嬪崔氏(トンイ)/朝鮮王朝美女物語2
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張禧嬪(チャン・ヒビン)/朝鮮王朝美女物語4
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「張禧嬪(チャン・ヒビン)よりトンイが悪女!」と言える3つの根拠
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