医女としてチャングムが残した功罪
チャングムは、王家の侍医として多くの功績を残しているが、失敗することもあった。彼女の失敗は、1515年3月21日の記述に記されている。
「長今は功績があったので褒美をもらうことができるのだが、重要な問題が起こって、未だに褒美をもらえないでいる」
記述にある“重要な問題”とは、中宗の正室が産後の経過が悪く亡くなってしまったことだ。
当時、王族を担当する侍医は、王族が亡くなった場合、どんな小さな失敗でも重い罰が与えられた。もちろんチャングムも例外ではない。
彼女が犯した失敗とは、王妃の産後に服を着替えさせなければならないのを怠ったことだ。
当然、チャングムにも重い刑罰が与えられるはずだった。
しかし、「朝鮮王朝実録」を見る限り、チャングムはその後も医女としての活動を続けている。責任を取らされなかった理由については、ハッキリとしていない。
また、以降の記述には、チャングムが褒美を授かったり、名前に最高の賛辞である「大」をつけた大長今(テジャングム)として表記されることもあった。それほど、中宗はチャングムのことをかなり信頼していたのだ。それは、晩年の中宗が残した「余の病状はチャングムだけが知っている」という記述からも明らかだ。
中宗の死後、チャングムに関する記述を「朝鮮王朝実録」に見ることはない。歴史に名を残した医女の最期は誰にもわからないのだ……。
文=康 大地(コウ ダイチ)
提供=「ロコレ」