朝鮮王朝人物列伝/第7回
日本でも大ヒットしたドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』。その主人公であるチャングムが実在する人物というのは、韓国時代劇が好きなファンにはよく知られる事実だ。しかし、史実でのチャングム(長今)は、朝鮮王朝の公的な歴史書「朝鮮王朝実録」に10カ所あまり記述が残されているだけの謎多き人物だ。ドラマとは違う史実のチャングムの素顔に迫る……。
医女が誕生した理由
医女・チャングムが歴史書に登場したのは、11代王・中宗(チュンジョン)の時代になってからだ。
当時の朝鮮王朝の王宮には、政治に携わる高官から王の身の回りの世話をする宮女まで多くの人が働いていた。中でも専門的な知識が必要だったのが医官である。医官は基本的に男性が務めていたが、時代と共に女性の医官=医女の必要性が高まってきた
なぜなら、当時の社会では、女性が夫以外の男性に肌を見せることは大変な侮辱行為とされていたため、女性はたとえ病気になろうとも医官の診察を拒む場合が多かったのだ。
「このままでは、女性たちの病気がいっこうに治らない」と、頭を悩ませたのが3代王・太宗(テジョン)である。しかし、名門出身の女性たちは、誰も医女になりたがらなかった。仕方がなく、太宗は最下層の身分である奴婢(ヌヒ)から医女を選ぶことにした。
その結果、医女の身分や扱いは低く見られがちだった。
特に、朝鮮王朝27人の王の中でも最悪の暴君と呼ばれる10代王・燕山君(ヨンサングン)は、酒席に医女を呼んで酌を強要することもあった。
こうした習慣を憂いたのが11代王・中宗である。彼は医女を必要以上に低く見る風潮を禁止しようと動いた。そんな中宗の努力の結果が、医女・チャングムの登場に繋がった。(ページ2に続く)