正祖が行なった報復
1776年に英祖が世を去り、荘献の息子である祘が後を継いで22代王・正祖として即位した。王となった彼は、自分が荘献の息子であることを強調して、父を死に追いやった者は絶対に許さないという意志を示した。
その後、正祖は荘献を陥れた者たちを次々と処罰していくが、祖母である貞純(チョンスン)王后だけは罰することができなかった。朝鮮王朝時代は儒教を重んじていたため、もし、正祖が祖母を処罰したら、朝鮮王朝が混乱に陥ることは明白だった。
それでも貞純王后を憎むことを忘れなかった正祖は、彼女のまわりの勢力を一掃したのである。
大規模な粛清を行なった正祖は、亡き父のために首都である漢陽(ハニャン)の南に位置する水原(スウォン)に華城(ファソン)を造って、そこに荘献の立派な墓を建てている。とても親孝行だった彼の行動は、多くの人の感動を呼んだ。(ページ3に続く)