朝鮮王朝の国王が「殿下」と呼ばれた理由は?

韓国の歴史
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韓国ドラマの中でも、ひときわ根強い人気を誇るジャンルが「時代劇」である。筆者(康熙奉)自身も、「韓国ドラマといえばまずは時代劇」という大の時代劇ファンである。

実際、日本の韓ドラファンの間でも時代劇の人気は非常に高く、ドラマの話題で大いに盛り上がることがよくある。そんな熱心な視聴者の方々から、頻繁に投げかけられる一つの鋭い質問がある。

「朝鮮王朝を舞台にしたドラマを見ていると、一国の主である国王に対して『殿下(チョナ)』と呼んでいますが、なぜ『陛下(ペハ)』ではないのですか?」

日本人からすると、国のトップなのだから「陛下」と呼ぶのが自然ではないかと疑問に思うのは当然のことだ。今回は、韓国時代劇をより深く楽しむために、この呼称に隠された歴史的な背景と、朝鮮王朝の生き残り戦略について分かりやすく紐解いてみよう。

「殿下(チョナ)」と「陛下(ペハ)」の決定的な格付けの違い

韓国時代劇でおなじみのように、家臣たちが王に向かって「チョーナー(殿下)!」とひれ伏すシーンは、朝鮮王朝を描いたドラマの代名詞とも言える。

なぜ一国の主でありながら「陛下」ではないのか。結論から言えば、それは「中国(明・清)に対する朝鮮王朝の立ち位置」が直接的に関係している。

東アジアにおける伝統的な称号のルールにおいて、「殿下」と「陛下」には以下のような明確な身分の違いが存在した。

  • 陛下(ペハ): 世界の中心である強大な帝国の君主、「皇帝」のみに許された絶対的な最高位の敬称。
  • 殿下(チョナ): 皇帝によって国を治めることを認められた「国王」、あるいは皇帝よりも身分の低い「皇族(皇太子など)」に対して用いられる一段格下の敬称。

つまり、朝鮮王朝では、君主の称号が最初から「皇帝」ではなく「国王」に設定されていたため、それに伴って敬称も「殿下」となっていたのである。

中国を頂点とする国際秩序「冊封体制」と、朝鮮王朝の生き残り策

では、なぜ朝鮮王朝は独立国でありながら、自らトップの称号を一段下げていたのだろうか。それは、隣国である大国・中国とのシビアな力関係から生じた極めて現実的な外交政策であった。

当時の中国大陸(明や清)を中心とする東アジアの国際秩序は、「冊封(さくほう)体制」と呼ばれていた。これは、周辺国の君主が中国の皇帝に貢物を送って臣従を誓い、その見返りとして「お前をその国の王として認めてやろう」とお墨付き(称号や印綬)をもらうシステムである。

この枠組みにおいて、「皇帝」を名乗ることが許されるのは世界でただ一人、中国の君主だけであった。そのため、朝鮮王朝は強大な中国に配慮してへりくだり、「国王」を名乗ったのである。決して自ら「皇帝」を名乗り、中国の逆鱗に触れるような無謀な真似はしなかった。

ここに、朝鮮王朝の明確かつしたたかな「生き残り策」がある。 「国王」は「皇帝」よりも格が一段下がる。しかし、このように中国の圧倒的な優位性を認めて大国を立てることで、強力な軍事力による侵略を免れ、国家の安全保障と自国の存在を維持していたのである。プライドよりも実利を取った、高度な生存戦略であったと言える。

日清戦争によるパラダイムシフト:崩れ去った東アジアの秩序

「中国が絶対的な皇帝であり、朝鮮は国王である」というこの立ち位置は、1392年の朝鮮王朝建国から約500年もの長きにわたって変わることはなかった。

しかし、その絶対的で強固な状況が、根本から覆される激動の時代がやってくる。19世紀の末である。

1894年に勃発した日清戦争において、大国・清(中国)は新興国である日本に敗北を喫した。その翌年に結ばれた下関条約によって、清は朝鮮に対する宗主権(コントロールする権利)を完全に放棄させられることになった。この歴史的敗北により、東アジアの力関係と長年続いた冊封体制は一気に崩壊したのである。

この結果、朝鮮王朝はもはや中国の顔色をうかがい、大国として立てる必要が一切なくなった。500年の歴史の中で、この変化はあまりにも巨大なパラダイムシフトであった。

「大韓帝国」の誕生と、束の間の「皇帝」時代

長きにわたる中国の呪縛から解き放たれた朝鮮王朝の第26代王・高宗(コジョン)は、1897年、ついに自国を清と対等な独立帝国であると宣言した。

国号を「朝鮮」から「大韓帝国」へと改め、高宗は自ら最高位の称号である「皇帝」を名乗ったのである。当然、この瞬間から君主に対する敬称は「殿下」から「陛下」へと変わった。これが、当時の揺るがない歴史の事実である。韓国時代劇でも、時代背景がこの時期(幕末から近代)に差し掛かると、君主が「陛下」と呼ばれるようになるのはそのためだ。

しかし、悲しいことに「大韓帝国」が独立した帝国として存在できたのは、歴史のスケールで見ればほんの一瞬、わずか13年間に過ぎなかった。1910年、朝鮮半島は日本の植民地(韓国併合)となり、大韓帝国という国家そのものが地球上から姿を消してしまったからである。

こうして、1392年に李成桂(イ・ソンゲ)によって建国され、518年続いた長き王朝の歴史は、第27代王・純宗(スンジョン)を最後に、完全にその幕を下ろすこととなった。

「殿下」というたった一つの敬称の裏には、大国に挟まれた半島の過酷な生存競争と、激動の東アジアの歴史が色濃く刻まれている。この背景を知った上で韓国時代劇を鑑賞すれば、登場人物たちのセリフや外交の駆け引きが、これまで以上に深く、面白く感じられるはずである。

文章執筆・写真撮影=康 熙奉(カン ヒボン)