朝鮮王朝で一番の聖女だった王妃は誰なのか?

謙虚で温厚な性格

<仇(かたき)をとる。同じように毒殺してやる>
思い詰めた洪国栄は孝懿王后の食事に毒を盛ろうとした。すでに彼は有能な重臣の面影もなかった。結局、王妃殺害計画が発覚して窮地に陥った。
正祖は改革の担い手として洪国栄に大きな期待を寄せていたのだが、おぞましい計画が露見するに至って、完全にこの男を見限った。
とはいえ、死罪にするのは忍びなかった。
すっかり人格が変わってしまったが、かつては功績の多い側近であった……そのことを考慮して、正祖は洪国栄を地方に追放するだけにとどめた。それは1780年2月のことだった。
普通に考えれば、孝懿王后が側室の暗殺をはかるわけがなかった。
なにしろ、彼女は謙虚でとても温厚な性格で知られていたのだ。誰からも尊敬される人徳を備えていた。




また、正祖の祖母となる貞純王后や母である恵慶宮(ヘギョングン)に心から礼を尽くした女性だった。
まさに、朝鮮王朝の王妃の中で一番の聖女であった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

貞明公主はどんな性格の王女だったのか

歴史解説!仁祖(インジョ)と貞明(チョンミョン)公主の確執

貞明公主!結婚式での有名なエピソード

光海君(クァンヘグン)と綾陽君(ヌンヤングン)と貞明(チョンミョン)公主

仁祖(インジョ)はなぜ昭顕(ソヒョン)世子の一家を滅ぼしたのか

固定ページ:
1 2

3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る