思悼世子(サドセジャ)と恵慶宮(ヘギョングン)は険悪な夫婦だった!

夫より息子と実家を守った

「恨中録」の中で恵慶宮は自分の実家の正当性を繰り返し強調する一方で、夫の思悼世子の素行の悪さを強調している。
そこには、夫をかばおうとする妻の姿はない。むしろ、夫が1762年に英祖によって米びつに閉じ込められて餓死したのも、「素行の悪さをとがめられた結果」と断じている。そうした姿勢から見えてくるのは夫婦仲の悪さだ。
思悼世子は生存中には多くの側室を抱える一方で、恵慶宮には冷たかったという。こうした夫婦関係は周知の事実だった。




結婚当初は思悼世子の聡明さを絶賛していた恵慶宮。しかし、結婚生活が長く続く中で、彼女は思悼世子に厳しい目を向けるようになった。
思悼世子が英祖によって米びつに閉じ込められたときも、恵慶宮が具体的に夫の助命に動いた形跡がない。世子の妻としての限界があったのかもしれないが、やはり恵慶宮が思悼世子を心から信頼していなかったことは明らかだ。
恵慶宮は、夫より息子と実家を守ることに熱心だった。その甲斐があって、息子のイ・サンは22代王・正祖として即位できた。それによって、恵慶宮は大妃(王の母)という栄誉を得たのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
記事提供:「ヨブル」

世子の「イ・ソン」と言えば思悼世子(サドセジャ)のこと!

英祖(ヨンジョ)とイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)の悲劇!

思悼世子(サドセジャ)とイ・サンの麗しき親子愛!

英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)に確執が生まれた日

思悼世子(サドセジャ)が餓死した後で妻の恵慶宮(ヘギョングン)はどうなった?

固定ページ:
1

2

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る