張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の息子を産んで起こった騒動とは?

王はあせりすぎている

「去年の5月に夢の中にある男が出てきたので、“息子はいつ生まれるだろうか”と尋ねたら、“すでに懐妊しています。男の子です”と男が答えた。このときは本当にうれしかったし、その夢が現実になったのだ。早く元子に決めたいのは当然のことである」
ここまで粛宗が言っても、「もっと広く議論して決めたらどうですか」と重臣たちは慎重だった。
しかし、粛宗は押し切った。
「すでに余が決めたことである」




そう言い切って、粛宗は初めての息子を元子にすることを決定した。誰の目から見ても、「王はあせりすぎている」と思えたのだが……。
それから5日後の1689年1月15日、王子を産んだ張禧嬪は封爵が嬪(ピン)に昇格した。嬪といえば、正一品の品階で女性の最高位である(ちなみに王妃には品階がない。品階を超越した存在とみなされたからだ)。
こうして張禧嬪は宮中で王妃に次ぐ存在になった。
しかし、これで終わりではなかった。
翌年に張禧嬪はついに王妃にまで昇格するのだが……。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

記事提供:「韓国時代劇アンニョン」

張禧嬪(チャン・ヒビン)は朝鮮王朝三大悪女の1人/朝鮮王朝人物列伝特選7

張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛した粛宗(スクチョン)!朝鮮王朝全史19

張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の心を奪った日々!

張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期!『トンイ』と史実はこんなに違う

張禧嬪(チャン・ヒビン)の栄光と転落!朝鮮王朝三大悪女に迫る3

固定ページ:
1

2

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る