朝鮮王朝はなぜ518年間も続いたのか

強固な中央集権国家体制

そもそも、朝鮮王朝は「血の抗争」によって始まっている。1392年に李成桂(イ・ソンゲ)が朝鮮王朝を建国して初代王・太祖(テジョ)になったが、その後継者の座をめぐって彼の先妻の息子たちと後妻の息子たちが争い、1398年に後妻の息子2人は殺害されて先妻の息子たちが勝利した。そして、2代王・定宗(チョンジョン)と3代王・太宗(テジョン)になったのである。
始まりから物騒だった朝鮮王朝の後継者争いは以後も続いた。たとえば、次のような騒動があった。




◆6代王・端宗(タンジョン)の叔父だった首陽(スヤン)大君が脅す形で王位を強奪した。
◆10代王・燕山君(ヨンサングン)がクーデターで追放され、異母弟が11代王・中宗(チュンジョン)として即位した。
◆12代王・仁宗(インジョン)は継母の文定(ムンジョン)王后によって毒殺された可能性が高く、その文定王后の息子が13代王・明宗(ミョンジョン)になった。
◆15代王・光海君(クァンヘグン)は14代王・宣祖(ソンジョ)の側室から生まれたが、王に即位すると宣祖の正室が産んだ異母弟を殺害している。
こうした騒動が朝鮮王朝を大きく揺るがした。
それでも、朝鮮王朝は1392年から1910年まで続いた。518年間も王朝が維持できたのは、多くの王位継承騒動が起きても滅亡しないほど中央集権国家体制が強固だったからだ。
とりわけ、科挙に合格して出世を果たした官僚たちが、王を補佐して有能な行政能力を発揮した。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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