悲劇的な晩年
光宗が積極的に導入した科挙の制度は、朝鮮王朝末期の19世紀まで官僚制度の根幹になっていた。
それほど4代王として様々な功績を残した光宗であったが、晩年には一転して大きな弊害も残してしまった。
というのは、光宗は疑い深い人間になってしまって、諌(いさ)める官僚たちをこぞって粛清した。
それによって高麗王朝は血まみれの時代を迎え、科挙を通して出世した優秀な高官が命を落とす結果となった。
なんという悲劇的なことであろうか。
光宗は自ら導入した科挙によって優秀な官僚を見いだしながら、疑心暗鬼から多くの高官を葬ってしまったのだ。
長く王として君臨した驕(おご)りだろうか。
数多くの功績を残しながら晩節を汚してしまった光宗は、975年に50歳で世を去っている。
文=「歴史カン・ヒボン」編集部
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