朝鮮王朝の中宗(チュンジョン)はどんな国王だったのか

医女の名はチャングム

本来なら、中宗が拒否すればいいだけの話だ。彼は王なのである。
しかし、気が弱い中宗は拒むことができず、愛する端敬王后を離縁した。結局、かつがれて王になった中宗は、クーデターを成功させた重臣に逆らえなかったのだ。
そこが、みこしに乗せられた王の弱さだった。
愛妻を実家に帰した中宗は、二番目の正妻として16歳の章敬(チャンギョン)王后を迎えた。
彼女は24歳だった1515年に中宗の最初の王子(12代王の仁宗〔インジョン〕)を産んだが、出産直後に亡くなってしまった。
やむなく、中宗は1517年にまだ16歳だった文定(ムンジョン)王后を三番目の正妻として迎えた。




彼女こそが後に仁宗を毒殺した疑いが強い悪女である。
結局、中宗の治世は38年に及んだ。文定王后の暴走を許したという意味では彼にも責任があるが、やはり青天の霹靂(へきれき)で王になった人であり、強い意志をもって政治に取り組む性格ではなかった。
中宗は1544年に56歳で世を去った。それまで彼を献身的に診察したのが医女の長今(チャングム)である。彼女を主人公にしたドラマ(『宮廷女官 チャングムの誓い』)が2003年に韓国で放送されて人気となり、今ではその医女の名を知らない人がいないほど有名である。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

中宗について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

中宗(チュンジョン)はあまりに優柔不断すぎる王だった!

中宗(チュンジョン)の正体!嫌々王になって最後まで影が薄かった

中宗(チュンジョン)はどのようにして即位したのか

中宗(チュンジョン)が離縁した端敬(タンギョン)王后の悲しき人生!

中宗(チュンジョン)と王妃の「チマ岩の伝説」

中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?

固定ページ:
1

2

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る