正祖(チョンジョ)の宿敵だった貞純(チョンスン)王后/悪女たちの朝鮮王朝2

断食をして抵抗

思悼世子は父の英祖と不仲だった。さらに、官僚たちの主流派閥になっている老論派からも嫌われていた。
その現実を見逃さず、貞純王后も思悼世子の排斥に動いた。そこには、貞純王后の父の影響も及んでいた。父は思悼世子を批判する老論派の一員だったのだ。
父から指図されることも多かったのだろう。貞純王后は思悼世子の素行を歪めて英祖に伝える役目を果たした。まだ王妃になって日が浅かったが、貞純王后が尾ひれをつけて話す思悼世子の非行は、英祖の不信感をさらに増幅させた。
結局、思悼世子は周囲から「封じ込め」にあったような形となり、1762年、英祖によって米びつに閉じ込められて餓死した。
思悼世子を追い詰めた老論派は、その息子だった正祖(チョンジョ)の即位を邪魔し続けた。




しかし、この工作は功を奏さず、1776年に正祖が22代王として即位した。彼は、父の死に関係した者たちを次々に処罰したが、貞純王后への対応には苦慮した。本来なら、真っ先に処罰したい相手だった。しかし、形式的には祖母に当たる。朝鮮王朝が国教にしていた儒教では「孝行」こそが最高の徳目になっており、民衆に範を示すべき王が祖母を処罰するということは、倫理的に難しいことだった。
実際、貞純王后は処罰に抵抗して断食を行なった。
このあたりは、貞純王后がうまく立ち回ったと言わざるをえない。王の祖母がそこまで直接行動を起こせば、官僚たちの間でも動揺が広がる。儒教的な価値観に基づいて、「祖母に断食までさせる王はいかがなものか」という論議が活発になるのは当然のことだった。そんな状況の中で正祖が貞純王后を処罰するのは難しい。激しく抵抗する祖母を不問に付すしかなかった。
即位早々でまだ政治基盤の弱い正祖としては、やむをえないことであった。父の死を思うと、さぞかし無念であっただろうが……。
機先を制した貞純王后の勝ちである。彼女はこのとき31歳。政治的に勘が鋭い女性であったことは間違いない。(ページ3に続く)

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