『王女の男』に登場する敬恵(キョンヘ)王女の生涯/後編

自尊心を守り抜く生き方

敬恵王女は、恥をさらしてまで生きたくなかった。本来なら、夫のあとを追って自決したかったが、それができない事情があった。すでに敬恵王女のお腹の中では次の生命が宿っていたのである。
それだけに、敬恵王女はなんとしてもお腹の子供を守らなければならなかった。彼女は奴婢として使役を課されそうになったが、そんなときに敢然と言い放った。
「私は王の娘である」
たとえ最下層の身分になっても、精神の気高さは失っていないという意思表示だった。どこまでも自尊心を守り抜くことが敬恵王女の生き方だった。そして、やがて彼女は娘を産んだ。




一方、貞熹王后に預けた敬恵王女の息子はどうなったであろうか。
この息子を貞熹王后は王宮で、女の子の服を着せて育てた。そこまで用心しても、最後まで隠し通せるものではなかった。いつしか、世祖の知るところとなった。観念した貞熹王后は、本当のことを世祖に話した。
意外にも、世祖はその子を膝に抱いて可愛がった。子供に罪はない、という思いが強かったのだろう。長く丈夫に育ってほしいという願いを込めて、世祖は自らその子に眉寿(ミス)という名を付けた。
そればかりか、世祖は敬恵王女の身分を回復して王宮のそばにりっぱな屋敷まで用意した。まさに破格の待遇だが、それを敬恵王女はきっぱりと拒絶して尼になってしまった。ただ、ずっと仏の道につかえる気持ちはなかった。(ページ3に続く)

『王女の男』に登場する敬恵(キョンヘ)王女の生涯/前編

『王女の男』に登場する敬恵(キョンヘ)王女の生涯/中編

端宗(タンジョン)/朝鮮王朝おどろき国王列伝8

世祖(セジョ)/朝鮮王朝おどろき国王列伝9

文宗(ムンジョン)の不覚!朝鮮王朝の重大な事件簿8

固定ページ:
1

2

3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る