善徳(ソンドク)女王/三国高麗国王列伝4

第4回 新羅初の偉大な女王

新羅(シルラ)で、女性として初めて王となった善徳(ソンドク)女王。彼女の父親は、26代の真平王(チンピョンワン)だ。その真平王に息子がいなかったこともあって、善徳女王が即位したのだが、彼女はいったいどんな女性だったのだろうか。

★12_11

唐の冷たい対応

新羅の27代王として即位した善徳女王。大きな功績を残しており、国民たちから絶大な人気を誇る女王だった。
三国時代の一大勢力として、新羅は高句麗や百済と激しい争いを繰り返していた。高句麗や百済より優位に立とうと考えていた善徳女王は、中国大陸の大国である唐と友好関係を築こうとした。しかし、唐の対応は「女性が王になっているから周りの国から馬鹿にされるのだ、こちらの王族を送るからその者を王にしたらどうか」という冷たいものだった。




善徳女王は、その申し出を受け入れず、新羅の人材を生かして戦うことを決めて、金庾信(キム・ユシン)という若者を大将軍に任命した。それが644年である。金庾信は見事に女王の期待に応えて、新羅の軍事力を飛躍的に向上させた。(ページ2に続く)

簡潔に読む!韓国の歴史〔善徳女王の生涯(前編)〕

奇皇后と善徳女王はどこが違っていたのか

奇皇后とはいったいどんな女性だったのか

固定ページ:

1

2

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る